きみがさくら、ぼくもサクラ ♪ ~K嬢に捧ぐ~ 詞曲:ピーマン
1.花びら舞い込む机から 素知らぬ振りして窓の外
それでも匂うきみの香が
ぼくの呼吸(いき)を追いつめて
時は空しく過ぎて きみはもう還らない ♪
時は空しく過ぎて きみはもう還らない ♪
2.校舎のスロープ靴音が だんだん離れるキャンパスで
コートは風と足速に
影だけ残して月明かり
影を踏めばよかった バス停までも追いかけて ♪
時は空しく過ぎて きみはもう帰らない ♪
3.朝露零れる葉影から 雌鹿が遠くで啼いたのか
きみが倒れし比叡山
ぼくは呼吸(いき)を止めたまま
時は空しく過ぎて きみはもう返せない ♪
時よ空しく過ぎて きみはもう返せない ♪
4.雑踏逃れて湯煙を 石山巡って老神へ
闇を走って赤城山
残る面影母盲女
時は空しく過ぎて きみをもう映せない ♪
時は空しく過ぎて きみをもう映せない ♪
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事件は、高野山も、比叡山も、まだ世界遺産になる前の時だ。
仏師を目指す若い学生が、ひとり比叡山へ向かった。
そして、その山麓で野宿するホームレスに襲われ、死んだ。
記事を読んで、何故彼女は比叡山を選んだのだろう、とおもった。
加害者に同じ質問をぶつけても、詮無いこと故。
被害者側のそれを調べるしかない。そこ以外を選べば、事件はなかったはずだ。
老神を目指したのは、自分の意識であり、決断である。
クリスチャン故、老いても神、なのである。地図には、石山神社という弘法大師所縁の地があり、それも寄って、山越えした。
だから、それ以前に、彼女の事件を知っていて、高野山の空海さん、それ所縁の石山、という理由付けができる。彼女の死の比叡山系列を、意識して避けたのである。
もう、比叡山にはおそらく行かない。
彼女も、自分が教室から見た桜が舞い散るを、おそらく見たはずだ。
接点があるとすれば、それだけだ。